ひな祭りの原型?
- 雛まつりの原型
「あかりをつけましょぼんぼりに お花をあげましょ 桃の花 五人囃子の~」
皆さぁん、今日は女子の日です。女子の日 桃の節句ですねぇ~
お祝いしましたかぁ~
さて、今日は昔にタイムマシーン!!
さて、中国の漢代、3月の最初の巳(み)の日である上巳(じょうし)に水辺で身を清める節供行事が
あったといわれています。
魏(ぎ)の頃には、3月3日に固定するようになり、晋代には杯を流水に浮かべて
詩歌をよみあう遊びの曲水の宴が行われたようです。
それが日本にも伝わり、701年(大宝元)の3月3日には宮中で宴が催され、
730年(天平2)には曲水の宴が設けられています。
律令はこの日の宴を節会(せちえ)のひとつに定めました。
当時この行事は貴族の間では、それぞれ季節の節目の身のけがれを祓う大切な行事でした。
上巳の節供の日に人々は野山に出て薬草を摘み、その薬草で体のけがれを祓って健康と厄除けを願いました。
この行事が、後に宮中の紙の着せかえ人形で遊ぶ「ひいな遊び」と融合し、
自分の災厄を代わりに引き受けさせた紙人形を川に流す「流し雛」へと発展してゆきます。
これが俗にいう今の「雛祭りの原型」とのこと。
今日は、ここまででございます。
今週も明日のみです。
共に、顔晴りましょう
最後まで御読み頂きまして、有難うございます。
合掌
彦根大仏 済福寺
小坊主のサッちゃん