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お盆について~その2~

皆様

おはようございます。
皆様、警戒区域の方は、無事に避難されることをお進めいたします。
くれぐれもご自身の命をお守りくださいませ。
今日は、終戦記念日ですね。日本の為に戦ってくださった皆様に合掌。

昨日は、目蓮が母親を神通力で探し、その親が餓鬼(がき)道(どう)に落ちている事を
知り何とか母親を救いたいと思う目蓮。
目蓮は、釈尊の教えにより、衆(しゅう)僧(そう)供養(くよう)を行い、
母親を餓鬼(がき)道(どう)から救ったと言うお話を少し致しました。
今日は、昨日の続きでございます。
・・・母親を餓鬼道に落としたのは、外ならぬ子供である目蓮自身なのです。
我が子を可愛いがる親の愛情の中には、可愛さ余って我が子しか眼に入らず、
我が子のためには人を落とし入れてでも子供の幸せを願い、
時には鬼にも餓鬼の姿にもなるエゴイズムが潜んでいます。
その母親を救う道はただ一つ、子供が親の本当の願いに応えて生きる人となる以外にはないのでしょう。

親の本当の願いとは「人間に生まれた意義と生きる真の喜びに目覚めて生きる」人と成ってほしいということに尽きるのでしょう。その事に目覚める道は「聞法」以外にはありません。
釈尊が「衆僧供養せよ」と説かれた本意は、「聞法を大切にせよ」ということでしょう。

この説法が起源となって、仏(ふっ)・法(ぽう)・僧(そう)の三法(さんぽう)に供養する法会(ほうえ)がもたれるようになり、
後に特に先祖の霊を供養する行事と変化してきたのです。
俗に「お盆の三日間は地獄の釜のふたがあく」といわれ、先祖の霊が帰ってくるようにいわれますが、
それはまちがいで、私達の先祖はそのようなお盆の間だけ行ったり来たりするようなものではありません。

満足感がなく、欲心に追い回され、名利(みょうり)に動く心情は餓鬼そのものです。
先祖を諸仏(しょぶつ)としてお敬いすることは尊いことです。
しかし、先祖を餓鬼として供養したり、たたりを恐れて、慰霊をしたり、あの世から都合よく守ってもらおうと思う根性こそが、自分の欲心、名利心を満たし守ってもらおうとする餓鬼の姿であり、これほど先祖を侮辱することはありません。
明日に続く・・・
今日はこれにて失礼いたします。
合掌 彦根大仏
住職

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住職紹介


水谷 晴亮(みずたに せいりょう)
黄檗宗普渡山済福寺14代目住職
龍谷大学仏教学科卒業

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